1998年のパネライ復活によるデカ厚時計大旋風から20年……現在、そして未来の時計サイズはどうなるのか???
Begin20年の過去誌面から読み解く
時計界に突如“デカ厚”旋風が巻き起こってから、早くも20年!? 近頃はお洒落な人の間で小径時計もブームですが、時計界全体を見渡せば今も多勢は径40mmを超える大径モデルたち。このデカ厚トレンドは一体どのように生まれ、Begin読者に浸透していったのか? そしてこれからもデカ厚時計を狙ってもいいのか? 過去の誌面を振り返りつつ読み解きます!
腕時計の巨大化はパネライからはじまった……デカ厚勃興期
1998~2000年
復活のパネライを皮切りに時計が次々巨大化。
それをビギンが“デカ厚”とカテゴライズ!
ざっくりと説明すれば、懐中時計からより小さく、薄く進化してきたのが腕時計の歴史。時計師たちは精緻なメカニズムをいかにミニマライズするかに腐心し、長らく時計は小さくて薄いほどエライとされていました。やがてダイバーズやクロノグラフなど、特殊機能を備えるがゆえにビッグサイズとなった時計も現れますが、普通の男がフツーにつける時計は、ずっと径35~38mmぐらいが適切サイズでした。というか、昔の時計ファンは今ほどシビアに時計のケースサイズを気にせず、Beginの時計記事でも、長らくケース径の記載はあったり、なかったり(笑)。基本的にサイズはジェンツ、ボーイズ、レディスの3種類にザックリと分けられているだけでした。念のため言っておきますと、Beginは1988年の創刊時から時計記事に力を入れており、ロレックスやオメガはもちろん、IWCやジャガー・ルクルト、ゼニス、チュードル(あ、今はチューダーね)といったマニア好みのブランドから、アンティークまで幅広く紹介。そんな“時計に強いBegin”でも、サイズにはさほど重きを置いていなかったんです。
しかし1998年を機に状況は変わります。春のスイス新作時計展(ジュネーブサロン)にて、伝説のパネライが復活。何よりも驚いたのはそのインパクト満点な巨大ケースです。径44mmですから、今の時計界ではさほど珍しいサイズ感じゃありませんが、当時こんなにカタマリ感ある時計は他になく、世界中の時計ファンにディープインパクトを与えたのです。
1998年7月号

その頃はクラシコ・イタリアをやんちゃにアレンジした“センツァクラヴァッテ”(要はノータイスタイルのこと)のようなスタイルが流行っていて、スクエアトウのロングノーズ靴やら首元ボタンを2連で装備したドゥエボットーニやらが人気だった。
2000年3月号

ここにパネライのようにサイズ的にも存在感ある時計はドンピシャだとBeginは感じ、この年の9月号でデカ顔の時計を集めた小特集を敢行。これが好評を博し、11月号では遂に『「デカ厚」時計を狙え!』という大特集を展開したのです。“デカ厚”という言葉が日本の雑誌で初めて登場したのはこの号なんです。
1998年11月号

目論見どおり、この特集は大反響。この後パネライはスター街道をイッキに駆け上り、時計界全体もあっという間にデカ厚一辺倒に。このあたりから時計ファンは時計サイズを気にするようになり、Begin誌面でも時計を紹介するときはケース径を記載するのがデフォルトになっていくんですね。
1998~2000年
Begin誌面で紹介された年間の時計本数と平均ケース径
1998年
パネライがSIHHで復活。44mmのサイズは衝撃を与えた。アンティーク、中古時計を除き、誌面でサイズ表記されているのは当時の一般的ジェンツサイズ(径35~38mm)よりも大きい時計の54本のみ。
11月号で”「デカ厚」時計を狙え!!”という特集を組み、初めてデカ厚という言葉が生まれた。
サイズ表記されている時計54本のみの平均は40.5mm(掲載時計すべての平均ではない。あくまで参考データ)。
1999年
他社もパネライの影響を受けたのか、バーゼル、SIHHでデカ厚モデルが登場。ただし本家パネライは40mmを出して小型化!?
サイズ表記されてい時計る15本のみの平均は42.4mm(掲載時計すべての平均ではない。あくまで参考データ)。
2000年
サイズ表記されている時計39本のみの平均は42.1mm(掲載時計すべての平均ではない。あくまで参考データ)。