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May-11-2024

【日本の絹紡はここまで進化しました】美和繊維工業×中川絹糸/ 拝啓、大久保さん【和歌山大莫小】

「洗えるシルクは当社20年来の目標でした」(中川さん/中川絹糸)
「これがきっかけとなって和歌山の丸編にシルクが使われるようになれば」(風神さん/美和繊維工業)

本企画にあたり、今まで扱っていなかったアイテムを作りたいと考えた美和繊維工業の代表・風神充宏さん。素材を探すなかで心惹かれたのが絹でした。「シルクは日本の伝統的産業でストーリー性もありますし、丸編みのTシャツが作れたら面白いんじゃないかと。紡績会社の東洋紡さんに相談したところ、中川絹糸さんを教えていただいて。初めましてからスタートしました」と風神さん。まさに和歌山大莫小から生まれた新タッグです。

拝啓、大久保さん。あなたが始めた日本の絹紡はここまで進化しましたよ。

美和繊維工業×中川絹糸(滋賀県) / 拝啓、大久保さん
シルクは触感はもちろん、高い吸湿発散性を持つのでじつはTシャツにもぴったり

中川絹糸は1940年、滋賀県長浜市に創業した日本で唯一の絹紡糸を製造する会社です。絹には2種類の糸があり、一般的にシルクと聞いて我々がイメージするのは着物やネクタイなどに使われる生糸(きいと)──蚕の繭から取った一本の連続するフィラメント糸です。対して絹紡糸は生糸にならなかった繭の残り──副蚕(ふくさん)と呼ばれる部分をわた状にして紡績するスパン糸で、国内では中川絹糸しか作れません。

「1872年、群馬県に生糸を作る富岡製糸場が誕生し、それが模範となって日本各地に工場が作られました。当時、日本は生糸をヨーロッパやアメリカに輸出していて副蚕は使い道がないから一緒にプレゼントしていたんですね。それを変えたのが、岩倉使節団の副使として欧米を視察していた大久保利通でした。大久保はイギリスで、くず繭の紡績工場を見つけ、機械一式を自分のお金で買い受けたんです。それで1877年、群馬県の新町(現・高崎市)に新町紡績所を始めました。それが日本の絹紡績の第一歩なんです」と説明するのは、中川絹糸の代表・中川嘉隆さん。創業84年を誇る中川絹糸ですが、大久保利通から続く絹糸工場の歴史においては最後発に位置するといいます。「会社を始めた頃は和服の時代で供給先は京都でした。その後、着物から洋服になりましたが、織物産地である愛知県の一宮も近く、情報や物流面で優位性が保て、和から洋の転換がうまくいきました」。時代は移ろい、アパレルは海外生産が当たり前になります。国外の安価な繊維に押され絹の紡績会社は次々となくなっていきますが、中川絹糸は後発だからこそ磨かれてきた創意工夫で唯一生き残ります。そんな創意工夫の賜物が今回の主役、洗えるプライムシルクです。

美和繊維工業と中川絹糸のタッグT
表面に凹凸感がある編み方で肌離れの良さと光沢感を表現

「シルクは肌と相性が良い(気持ちよく感じる)ので、インナーとして着られる洗濯可能なシルクを作るのが20年来の我々の目標だったんです。絹はフィブロインとセリシンという2種類のタンパク質から形成されています。フィブロンの周りをコーティングするセリシンを取り除くことで、シルク独特の光沢と柔らかさが得られます。しかしフィブロインは分子結合が弱く、洗うと繊維が何万本にも分かれるマイクロフィブリル化現象を引き起こすんですね。どうしたものかなと研究していたところ、ある薬品メーカーさんと知り合いまして。分子の架橋結合という技術をつかえばマイクロフィブリル化が止められるかもしれないということで架橋結合剤を開発してくれたんです。もちろん人体に影響がないものです」(中川さん)

この洗えるプライムシルクが丸編みになるのは初めてだそうで、「これがきっかけで和歌山のニッターにも広がっていけば」とは美和繊維工業の風神さん。美和さんといえばハイゲージニットですが、今回も編み機にシルク糸が通る限界までゲージを上げました。組織は天竺の梨地。表面に凹凸感がある編み方で肌離れの良さと光沢感を表現し、リブにも同素材が使われています。シルクは触感はもちろん、高い吸湿発散性を持つのでじつはTシャツにもぴったりの素材です。

拝啓、大久保さん。あなたが始めた日本の絹紡はここまで進化しましたよ。

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