研ぎ澄まされた、心打つ器の話~『雅工房』を辿る旅~
当連載の第1回目で紹介した、一枚板テーブルを中心にインテリアなども扱う『TORINOKI FURNITURE』で出会った器。見た瞬間、吸い寄せられるように手に取り、次の瞬間、その質感に感動した。 器を買ったのはこのときが初めてだった。
今では、僕が使うはずのその茶碗で5歳の息子がご飯を食べている。家族を虜にする器はどのようにして生まれるのか。 その背景を知るべく、奄美大島へ向かった。
奄美空港から車で1時間ちょい。島のほぼ真ん中にあり、海と山に囲まれた自然豊かな人口1500人程の大和村という小さな村で、美しい器は生まれる。その名は『雅工房』。
なんでも手軽に情報を得られるSNSで検索しても、情報はほぼなく、電話番号も非公開。それでも、奄美大島のリゾートホテルを中心に全国から依頼が相次ぎ、本質を捉えた著名なクリエイターたちからも厚い信頼を得ているのだ。それは『雅工房』を営む森雅志さんが「陶芸はご飯を食べたり寝るのと一緒です」と語るように、ただひたすら、ただひたむきに、陶芸と対峙し続けてきた証に他ならない。
森さんの作品は、独自に研究を積み重ね続ける釉薬から生まれる“色柄”と“質感”、そして1~1・5ミリの“薄さ”が三位一体となり初めて完成する。この旅では、今まで語られてこなかったその背景を紐解いていく。
鳥の鳴き声が心地よく響きわたる自然豊かな空間にある『雅工房』。工房とギャラリーが併設されており、3日に1回のペースで窯出しされた作品が十数点ほど並ぶ。茶碗やコップ、カレーや炒飯が食べやすいつつみ鉢、刺身などの盛り付けが映える高台皿にケーキに適したたたら皿など、種類も豊富。森さんが言う「器は食事のための道具」でありながら、いつもの食卓がいつも以上に楽しくなる。個人注文も可能だが現在約4年待ち。ちなみに茶碗1 点2000円という値札を……二度見してしまった。
住:鹿児島県大島郡大和村大和浜字南田310
Tel:非公開
素焼きの写真からもひしひしと伝わるが、森さんの器は1~1・5ミリととにかく薄い。初めて手に取ったとき、その美しさゆえ何度も何度も見る角度を変えて見入ってしまった。
「『雅工房』を大和村に構えたのが2001年なのですが、2010年頃から薄い器を作り始めました。その頃はどうして薄い器を作っているのかという意見が多数あり、島でもぶ厚い器のほうが好まれる傾向にありました。もちろん、薄い器に感銘を受けていただいた方もいらっしゃったのですが、作陶を続けるためにもぶ厚い器がほしいと注文があれば、G – SHOCKのようなタフな器を作っていましたね。需要と自分が本来作りたいものが噛み合わず、ずっと葛藤していたように感じます。そんな状態がしばらく続いていたのですが、2017年頃だったか、3度目の水災に遭ったんです。そのとき“もう、やりたいようにやって引退しよう”と。そして、その決意を後押ししてくれたのが、ヴィンテージシルクを使った作品を制作するテキスタイルアーティストの関澤弘毅さん。彼がここを訪れた際“森さん、もう少し薄く作れますか?”って何気なく言ったんです。……ただただ嬉しくて“はい、できます”とだけ答えました。長年の迷いがなくなり、陶芸が好きになった瞬間でした」。
その後は奄美にリゾートホテルが立ち並ぶ時期とも重なり、森さんの作品は徐々に日の目を見るようになっていく。
ここで、薄い器ってもろいんじゃないの?という素朴な疑問を抱いた方もいらっしゃるだろうが、森さんの器は“薄いのに丈夫”なのだ。
「主な原材料として使用しているのは、島根県の石見地方で採れる石見土です。非常に焼締まりがよくて、強度も上がる。ただ、石見土だけ使うと変形する恐れがあるので、黒磁器土を混ぜて1260℃で焼いています。薄くても割れやすかったら意味がないですからね」。静かな工房で器と器をコツンと当てると、カーンと小高く綺麗な音が鳴り響くのだが、これが強度がある器特有の音色なのだ。
では森さんは何故薄い器にこだわるのか? 「ただただ、研ぎ澄ましたいんです。心の奥底から湧き上がる欲求に従っているまでです。陶芸をする前はずっとスポーツを真剣にやっていたのですが、例えばバスケットボールなどで相手を抜き去るときって、その瞬間、心も体も限りなく研ぎ澄ますじゃないですか? 陶芸もそれと一緒。とても心地いいんです」
その研ぎ澄まされた器には言うまでもなく、邪念の類は1ミリたりとも残されていない。
森さんが薄さへの探求と同じくらいの熱量を注ぎ込んでいるのが釉薬の研究だ。釉薬とは、数種類の土石に金属などを混ぜたもの。素焼きした器に掛け、本焼きすることで素地に水や汚れなどが染み込むことを防ぎ、独自の色合いと質感(テクスチャー)を表現することができるスパイスで、いわば陶芸家のアイデンティティだ。工房の奥へ歩を進めると、森さんが“データ室”と呼ぶ小部屋が現れ、そこには1000を超える釉薬見本が所狭しと積み重ねられている。森さんの頭の中の一端を垣間見たく、釉薬の作り方をお聞きした。
「私の場合、釉薬のベースとなる土石に骨灰という牛の骨を多めに配合しています。器の色を見てもらうと、色が濃く出ているところがあるかと思いますが、これは骨灰が結晶化した部分でまだらのような色柄が生まれます。先に器の原材料として黒磁器土を混ぜているとお伝えしたと思いますが、それは強度を上げるためだけではなく、この結晶部分の色をより濃く出し、コントラストをつけるためでもあるのです。そして、表現したい色柄によってそのベースに0・1%単位で配合するものを調整して入れています。また、薄い器はすぐ水を吸い込んで飽和状態となり釉薬が乗りにくい。なので、薄い器でもしっかり乗る釉薬の具合も同時に考えなければいけません。薄く作れる人はいたとしても、それに乗っかる釉薬を開発するのはとても難しいんです」
そして森さんは質感にもとことんこだわる。「樹皮の質感がなぜだかとても好きで、そこを常に意識しています。まだら模様と質感を同居させることは難しく、一般的には7種類程度の配合だと思いますが、私の場合は12種類混ぜています。原料が天然のものということもあり、仕入れによる微妙な変化を安定させるためにも必然的に増えていきました」。
データ室は、森さんが膨大な歳月を費やしてきた努力の結晶だ。「一人でやっていると脳が一緒なので、どこかでループしてしまうんです。だから、過去に同じ配合をやったことがあるかどうかを都度確認しながら、常に変化していくことを心掛けています。また、結果的に失敗したとしても、新しく開発した釉薬は思いっきり試すようにしています」
色は全部で6種類。最初に作ったのは月を目指したという“月”色で、夕陽を表現した“茜”色に100年経った醤油樽から着想を得た“黒”色。そして、雲が浮かぶ空をイメージした“青”色に、岸から沖にかけてグリーンからブルーへとグラデーションが生まれる奄美の海を連想させる“緑”色と“青緑”色。どれも眺めているだけで心が解きほぐされ、いつの間にか癒されるのだから、不思議だ。
最後に、森さんの理想形について聞きたくなった。「目指しているのは、最長寿といわれている樹木“ブリッスルコーン・パイン”の流れるような樹皮肌。そのためには、結晶部分を縦に流れるように走らせつつ、樹皮の質感を出さなければいけません。ただ、この2つは相反する。つまり、縦に結晶を走らせることはできても、その代わりに質感が失われる。この2つが交わる唯一無二の釉薬を作りたい。その器を私がほしいだけなんです。一生かけても辿り着けないかもしれませんが、歩み続ければいつか手が届く気がします」。
雑誌から切り抜いたという目的地の写真は、工房の本棚から静かに森さんを見守っていた。
ろくろ/①~②土を練った後ろくろを引き、縁を2 ミリの厚さにする(この段階で1 ミリにすると乾燥工程でゆがむため)。③土を軟らかすぎず硬すぎない状態にし、削りやすくするための工程。ろくろを引いた後、室内で1 日乾かすのだが、上の縁部分だけが早く乾燥するため、木を敷いた発泡スチロールに入れて下の部分を乾燥させる。そうすると全体が均等に半乾燥した状態となる。森さんこそのナイスアイデア! ④余分な土を削って形にしていく。何度も繰り返し厚みが均等になるよう触診。⑤乾燥による歪みを無くすためにゴルフボールを活用。⑥研磨は森さん独自の工程で、ここで遂に1 ミリに! スポンジや布やすりを用いて器全体の違和感を消していく。ともすればすぐに割れてしまうので、柔らかい力で素早く作業を行う。また、縁の角を無くし滑らかにすることで器が割れにくくなる効果も。〝薄くても丈夫〞なのは、こういったひと手間の賜物。⑦釉薬を乗りやすくするために素焼きで水分を飛ばす。⑧独自配合の釉薬を掛ける。⑨~⑫1260℃で約15時間本焼きを行い、次の日は電気釜の中でゆっくり冷ます。その翌日窯出しを行い、晴れて完成!
たたら/たたらの裏側部分に石目の質感を出すために用いるのがなんと……ホームセンターで売っている踏み石! 裏側まで抜かりなくこだわりが注入されている。身の回りの日用品を偏見なく使いこなせるのは、独学で学んだ森さんならではだ。また、縁の切り込みは半分までにとどめ、手で外していくことで味を出していく。
「島のことは、観光客から教えてもらうことが多いですね」と照れ臭そうに笑う森さん。ただ、3年4ヶ月もの間どんなことがあろうとも、一日も休まずこの場所で作陶を続けていると聞いて、スッと腑に落ちた。「毎日毎日、試行錯誤を繰り返しながら、理想が形になる日に向かって、ひたすら焼くだけですね」と事も無げに語る森さんの言葉に、理屈はない。
「内から湧き上がる感性に身を任せればいいんです。その気持ちを無理に言語化すると、本質から離れていく。心のままに、です」。
そのとき、わざわざ言葉にして伝えようとするこの取材記事自体に一瞬疑問を抱いたが、それでも、わざわざ言葉にして伝えたいと強く思うことが、私のそれなんだと認識した。
ふと工房を見上げると、時計の針が12時を指したまま止まっていた。森さんにとっては毎日が、新たな始まりであると同時に、理想へと辿り着く“その日”なのかもしれない。
今朝も、自分のために買ったはずの茶碗で5歳の息子が一生懸命ご飯を掻き込んでいる。
その姿を微笑ましく眺めていると、ラジオの音声だけがゆったり漂う工房で、黙々と器と対峙する森さんの後ろ姿がふと頭に浮かんだ。
写真/松島星太 文・編集/増井友則