世界的手芸ブームで大注目! 手仕事のニットカルチャーを伝道するビギニン[前編]【ビギニン#41】
時代のニーズや変化に応えた優れモノが日々誕生しています。心踊る進化を遂げたアイテムはどのようにして生み出されたのか?「ビギニン」は、そんな前代未聞の優れモノを“Beginした人”を訪ね、深層に迫る企画です。
編み物が世界的に流行しています。契機となったのはコロナの自粛時間。気軽に始められる趣味として人気を集め、ハリウッド俳優が編み物好きを公言したり、TickTokでインフルエンサーの自作ニット動画がバズったり、その後も一過性のブームにとどまらない広がりを見せています。ちなみに欧米における編み物カルチャーの再燃はおよそ10年前から。ニットワークが瞑想と同様のリラックスをもたらすと注目され、若い女性や男性の愛好家が増えたよう。一説には認知機能の維持にも効果があるそうで「おばあちゃんの趣味」という先入観は、もしかしたら編み物を嗜むおかげで年齢を重ねても元気な女性が多いことから生まれたのかもしれません。
興味が尽きない編み物ですが前置きはこれくらいにして本題へ。今回はニットカルチャーをローカライズし、手仕事の可能性を追求するビギニンが登場します。
今回のビギニン
村松 啓市さん
1981年生まれ。静岡県藤枝市出身。文化服装学院 ニットデザイン科卒業。イタリアの高級糸メーカー・リネアピウグループ留学を経て。2005年ファッションブランド「everlasting sprout」を設立。2020年「muuc」にブランド名を改める。海外での評価も高く2008年イヴ・サンローランやカールラガーフェルドを見出した若手デザイナーの登竜門「ウールマーク・プライズ」でファイナリストに選ばれた他、パリのトレードショーやサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館内でショーを行うなど、ニットを使ったアートピースの制作も得意とする。自身のデザイン論や技術を多くの人とシェアし、より良いファッションカルチャーを作ることを目指し、2011年に拠点を静岡県島田市へ移す。2016年、ニットカルチャーを広げるプロジェクト「AND WOOL」をスタートさせる。
Idea:
ニットの多様な表現に魅入られる
村松さんが学んだ文化服装学院のニットデザイン科は、当時はもちろん、現在でも世界的に珍しい、手芸から工業製品までニットを専門的に教える学校でした。ニットとは1本の糸でループを作って編む生地の総称で、紀元前1世紀のエジプト遺跡から靴下が見つかるなど、人間の暮らしと古くから深く関わる技術。手編み、かぎ針、 編み機、コンピューターと様々な手法が発達し、レースやオートクチュールにもニットの知識が活かされているといいます。
「ぼくは元々、ファッションデザイナーになろうと考えていたわけではなく、何か楽しいことがやりたいという気持ちで文化服装学院に行ったんですね。それで入ったら天才達を目の当たりにして、現在も活躍されてるデザイナーさんが同期に沢山いたんです。そんな環境で最初は洋裁をやっていたんですが、ある時、古い洋服の装飾、刺繍やレースなどの手工芸はほとんどがニットの技術で作られていることを知って、多様な表現方法があるのに日本ではあまり認識されておらず、チャンスがありそうだし、何より面白いと感じてニットの道へ進みました」
編み物の魅力にハマった村松さんは同級生と刺激しあい研鑽を積みます。そして文化服装学院を卒業すると、世界中からニットのスペシャルリストを集める特待生プロジェクト「MASTER LINEAPIU」に選ばれイタリアへ。老舗糸メーカー「リネアピウ」社で特別研修生として世界トップクラスのニットデザインが集まる環境で働き、帰国後の2005年、自身のブランド 「everlasting sprout / エヴァーラスティング・スプラウト」を立ち上げます。
「国内におけるデザイナーの仕事は、流行を取り入れマーケットに合わせることが重要なんです。 対して海外では何よりオリジナリティが求められる。ぼくは生産効率や原料など制作の“工程”から考えるプロダクトをやりたかったんですが、日本の常識からするとかなりマニアックで、そういったブランドは珍しかった。だから自分のクリエイティブが受け入れられるために、土壌作りが必要だと考えました」
20年ほど前、日本で編み物はファッション性が低かったり、心理的に重たいといったネガティブなイメージが趨勢を占めていました。ニットの魅力を伝えようと考えた村松さんは、今では当たり前になった“試み”を始めます。
「制作過程を公開し、作業や作り手の顔を見せることで共感を持ってもらおうと定期的にワークショップを行いました。自分のショップや、新宿伊勢丹など、百貨店の洋服売り場でワークショプをやったのは、かなり早かったと思います」
22歳でデザイナーとしてのキャリアをスタートした村松さん。特許取得した独自の技術でオリジナリティある世界観を表現したブランドは、海外でも高い評価を得ていきます。
Trigger:
アパレル産業に忍び寄る危機
90年代~2000年代前半頃、日本はファッション黄金期と言われアパレル産業はピークを迎えていました。それを支えていたのが国内外の工場です。アパレル業界は、商品の企画デザイン、糸、 生地の生産、染色、縫製、販売と工程が細かく分業されています。プロセスごとに特化することで技術が向上し、高品質な商品を作れるようになりました。しかし専門化は同時に各分野の断絶も生み、ファッション産業の問題を潜在化させます。
「ぼくがアパレルを始めた頃は小ロットで高品質なものが工場で簡単に出来たんです。それが10年も経つと、日本はもちろん中国でも厳しくなりました。原因は人手不足です。国内でも会社の数が激減して(最近ようやく世間的にも認知されはじめましたが)、当時すでに働いてる人が60~70代だったんですね。それが年々退職されたら10年後どうなるか。完全に作れなくなると予測できたんです。中国でも同じ問題がすごい速さで起きていました。日本も一昔前は工場勤務の方って沢山いらしたじゃないですか。中国は一人っ子政策で子供が減少し経済も急成長した。そうしたら過酷かつ給料の安い工場で誰が働くのかっていう話ですよね。実際10年前から中国でもどんどん工場が減っていて、以前のような細かい仕事もできなくなっていたんです」
前述したようにアパレル業界は服作りの工程を高度に分業した結果、互いの状況が見えにくいという構造的な問題を孕むようになりました。村松さんは原料や工場といった携わる全体を見ながらデザインしていたゆえ、やがて服が作れなくなるという危機を早い段階で察知し、アクションを起こします。
「実はその頃から海外オファーも頂いて、面白そうなんだけど、作り手がぼく一人ではどうしても限界があって受けられない依頼も出てきていたんです。それで、このまま個人で続けるより、手仕事の価値は海外で高いから、ニットワークが出来る仲間を増やし、自分たちで生産できる環境を作れば戦えるんじゃないかと。東京でお店もやっていたんですが、人を育てるという中長期的なビジョンを考えて静岡に戻ることにしました」
ローカルで持続可能な服を作り、世界に発信する。村松さんはブランドのアップデートを志します。後編では、ニットの手仕事を広げる活動と、その中で生まれたプロダクトを紹介します。
後編:自分のやりたいことをやるために、持続可能な社会をつくる に続く
昔ながらの手編み機で作られたホワイトカシミヤ100%のニットアイテム。糸を張るテンションと、編地を下に引っ張るテンションを職人が調整しながら編むことで、コンピューター制御の編み機では作れない優しいタッチを実現。仕上げ工程の洗いと乾燥を特別な方法で行うことで、さらに柔らかい風合いに仕上げたアンドウールの自信作。ベスト4万700円。セーター4万9500円。
AND WOOL「手編み機のワークショップ」をビギンベースで開催!



手編み機を使って自分でカシミヤストールが作れる!
今回の取材がきっかけで、表参道・Begin Baseでのワークショップの開催が決定! 手編み機を動かしながらアンドウールの世界に触れてみてはいかがでしょうか。自分用としてはもちろん、大切な人へのギフトにも最高の1枚になること間違いなし。自分で作る分、店頭で買うよりも断然安くカシミヤストールが手に入ることでも毎回大人気らしいので、早めの予約がオススメです。
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写真/中島真美 文/森田哲徳