今回ご紹介するのは、あたりを山に囲まれた岐阜の集落、石徹白に移住した平野馨生里さんです。縄文時代の香りを色濃く残す、標高700メートルの神聖な地域で親しまれてきた、たつけを半世紀の時を経て再興した女性です。
前編では平野さんが石徹白に移り住んだ理由と、たつけとの出会いを紹介しました。後半では、たつけの製作秘話をお届けします。パズルゲームのような型紙のアップデートを攻略した先に待っていたものは、80歳を超える師匠の笑顔でした。
前編はこちら
今回のビギニン
石徹白洋品店 平野馨生里さん
岐阜県岐阜市生まれ。大学時代は文化人類学を専攻。2011年に岐阜県郡上市白鳥町石徹白に移住。翌年5月「石徹白洋品店」を開業し、2017年には株式会社に。製品の企画とデザイン、染め作業から、展示会やワークショップの企画も行う。石徹白に住む長老の話をまとめた聞き書き本の製作など、地域活動にも積極的に取り組む。
Struggle:
たつけのアップデートに着手する
平野さんは大学を卒業後、28歳で服飾系の専門学校に入学。かねてからアトピー性皮膚炎の症状に悩まされており、敏感肌の人に向けてのアパレルブランドを立ち上げる準備をしていました。
「ミシンを踏めば壊すというタイプで、本当に不器用なんです。家庭科もすごい苦手。それなのに、ここに移住を決めたとき手に職をつけようと服作りを始めてしまった。10歳くらい歳の離れた子たちに混じってコツコツ練習していましたが、全然ものにできなくて(笑)」
「泣きながらミシンと格闘して、やっとの思いで技術を習得できたって感じです」と、平野さんは胸を撫で下ろします。卒業後、2012年にオーナーを務める石徹白洋品店をスタート。当初は一人でお店を切り盛りしていましたが、今は展示会の出店やイベントの企画など事業を少し拡大し、インターン生や社員も在籍する会社となりました。
洋裁について、知識と技術の基礎を持っていた平野さんは、石徹白育ちのおばあちゃん、石徹白小枝子さんに教わりながら、たつけ作りを始めます。石徹白のたつけは、ウエストはゆったりとしていて、紐でサイズ調整が可能。麻素材で、とても丈夫。穿きこむことで自分の身体になじんできます。そして、それを実現するのが、計算され尽くしたパターンがあってこそ。かつて日本の服作りでは当たり前だった“直線断ち”という和装の製作法を採用しています。
「洗練された緻密な設計に驚きました。石徹白では当たり前のように受け継がれてきた製法ですが、私にとっては初めまして。小枝子さんに感動したことを伝えると、『言われてみればそうじゃなぁ〜』と言いながら、照れ臭そうに喜んでくれました」
高いポテンシャルを持つたつけですが、現代のライフスタイルや人の体型に合わせて改良も必要でした。というのも、袴のようなデザインでサイドの上部が開いており、その隙間から下着がチラチラ。シルエットも修正が必要で、お尻が小ぶりな現代人が穿くと、下半身がもたついて見えてしまう。普段着として穿くと、やぼったい印象になってしまいます。
もとのパターンの考え方はそのままに、たつけを将来に引き継ぐべく、平野さんはデザインをアップデート。

「直線縫いは、シンプルに見えて、本当に奥が深い。生地が貴重だった時代の型紙は、ハギレを出さないようになっていて、全てのパーツが関係し合っています。そのため、一か所の長さを変えると、もう一ヶ所の長さも調整しなくちゃいけない。そのバランスが絶妙で、個人的には普通のパンツを作るよりも難しいと思っています。だからこそ作っていて楽しんですけどね」
平野さんが考案した、現代版たつけはリラクシーな穿き心地でありながら、お尻のもたつきを軽減。レングスは裾にかけて細くなっており、スッキリと穿けるように、パーツの比率を調整されています。
「はじめのうちは、どこをどう触ったらいいのかみたいな感じで。まるでパズルのように、押し引きする感覚(笑)。ヒップを小さくしたいと思っていじってみては、他に影響が出てしまい無駄が出る。試作品が出来上がったら、主人や友人に穿いてもらってを繰り返し、少しずつ整えていきました」
「自分たちで作る服が一番好き」とにっこりと笑う平野さん。その表情は、石徹白に漂う空気のように爽やかで、とても軽やか。
「制作中は地元の方が温かく見守ってくれていました。なかでも小枝子さんはお店によく来てくれて。『馨生里さん、また増えたね』なんて、掛けてある商品を見ながら喜んでくれました」
敏感肌の自分でも着やすいようにと始めた、平野さんの服作り。元のたつけ同様に、現代版のたつけもコットンやリネンなどの天然素材を使用しています。染色もお店の隣に設けた自家製の工房で、平野さんたちが一枚一枚ていねいに染め上げ。原料となるタデアイやマリーゴールドも畑で栽培しています。青く染まった指先からも、そのこだわりは伝わってきます。
学生時代に通っていたカンボジアで習得した技術を使って、石徹白の自然の恵みから生まれたカラーバリエーションも。杉の葉、栗のイガ、びわの葉、桜の枝など、その時々しか表現できない色みに仕上げています。ここまでやるなら、染めまで自分で。そんな想いが伝わってくる、平野さんのモノづくり。半世紀の時を経て復活したたつけストーリーは、とうとう完結へ。




Reach:
たつけを知らない若い世代にも動きやすいと大好評
平野さんが作るたつけは、快適性とデザイン性を両立したニューベーシックな一本。“古臭いもの”だったたつけを、シルエットの妙で“新しいもの”へ昇華させています。
「地元の方でも祭りのときくらいにしか穿かないパンツでしたが、皆さん興味を持ってくれています。お店には、全国各地から来客があり、お問合せもいただきます。でも、なによりもうれしいのは、小枝子さんの反応。私がたつけを穿いている姿を見ると、いつも『かっこええなぁ、たつけ。やっぱりカッコええじゃろう』って褒めてくれるんです。その言葉の調子から、誇らしいという気持ちも感じ取ることができて。あぁ本当に作ってよかったなって思うんです」
完成したたつけは、購入者からの要望に応え、当初は紐でウエストを調整する対応でしたが、ゴム入りに仕様を変更。実用性を高めるために、サイドポケットもプラスされました。






そこで、取材班も試着してみると……取材を詰め込んだ1日の終わりでしたが、穿いた瞬間から笑みが溢れるほど本当に楽チン! ヒップにゆとりがあるから屈伸してもツッパリ感はなく、美しいシルエットと藍染めの上質感が相まって、イージーパンツでも大人っぽく履けます。ジャケットを羽織って街に出かけるにも良さそう! 「えっ、何コレ!?」な一本で、物欲センサーがビンビンに反応してしまいました(汗)。
じつはたつけ以外にも、伝統ある衣服を肌に優しい仕様で作っている平野さん。石徹白の先輩から教わったり、古着からサンプリングしたり。5型とも直線裁断と直線縫いの製法で作られています。
「私が今この時代に突然思いついたものでなくて、歴史の積み重ねのなかで、さまざまな人によって、すでにアップデートされてきたものばかり。そして、そこに今を生きる私の想いを重ねている。そんなふうに考えると、改めて手作りっていいよなと思いますね」と平野さん。「あくまで服作りは手段のひとつ」と、これから予定している取り組みについて教えてくれました。
「この集落の魅力を伝えていきたい。たとえば石徹白がこのまま続いていくためには、すごく努力が必要だと思っています。高齢化が進んでいますし、贔屓目に見ても都会はおろか、田舎街のような便利さはない。私の好きな集落の歴史を紡いでいくためにも、この地で働けるような仕事を増やしていけたらと思っています」
平野さんによると、現在は築300年の古民家の改装計画を立てているんだとか。宿としての開業を目標に、集落の人も観光者も気軽に立ち寄れる、石徹白の玄関口のような施設になる予定です。
「私には息子が4人います。子どもたちは網を持ち歩き、虫や魚をとって遊ぶのが楽しいみたい。いま目の前を通りすがった黒猫は黒い服を着た男性が好み。石徹白では大人も子どもも動物も、みんながのびのび暮らしています。宿が完成したら、こうした暮らしぶりを、もう少し知ってもらえるような気がしています。そうしたら、訪れた人もリラックスしてのびのびと羽を伸ばせる。そんな土地になるといいなって思います」





古くから石徹白で親しまれてきた農作業ズボン、たつけを現代風にアップデート。特徴的な直線断ち、直線縫いの製法をそのままに、シルエットを細身にアレンジ。藍染をはじめ、多様な草木染めに使用される原料は石徹白産が基本。コットン、リネン、デニム、ウールなど素材を変えて展開中。
(問)石徹白洋品店
https://itoshiro.org/
※表示価格は税込み
写真/平井俊作 文/妹尾龍都