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「SUKI」を諦めない“workwell”な人

「仕事」と「暮らし」のバランスが変わり、新しい生き方が求められているいま。仕事に情熱を注ぎながら、好きを諦めずに趣味や仕事を追求する人たちがいる。そんな「ワークウェル」な人たちは、何を考え、何を見据えて人生を歩んでいるのだろうか。彼らのカッコいい生き方に、これからの時代を自分らしく生き抜くヒントを学ぶ。

東京の慌ただしい日々を抜け出し、岡山駅から電車とバスを乗り継いで1時間。王子が岳のふもとでバスを降りると、目の前には穏やかな瀬戸内の海が広がっていた。思わず荷物を置いて伸びをする。気持ちのいい風がかすかに潮の香りを運んでくる。

坂をのぼると、こじんまりとした古民家が見えてきた。
「ようこそ、はるばる!」
笑顔で出迎えてくれたのは、あかしゆかさん。東京を拠点に編集・ライティングの仕事をするかたわら、ここ岡山の瀬戸内海沿いで書店aruを営んでいる。

東京〈7:3〉岡山

東京の仕事と岡山の仕事の割合は7:3。月に1週間ほど岡山に滞在し書店を開ける。今の生活のリズムが「とても健全」だとあかしさんは言う。

「天気もいいし、外でお話ししましょうか。」招いてくれたのは瀬戸内の海が一望できるウッドデッキ。なんて素敵なロケーションだろう。ヴィンテージの椅子に腰かけ、私たちはゆっくりと話を始めた。

「あかしさんが大切にしていることはなんですか?」

「自由、です。〈こうしなきゃいけない!〉とがんじがらめになるのではなく、その時々で自分にとって何が重要かを考えながら生きることを大切にしています」

4年前、会社員としての安定した日々を飛び出したあかしさん。慌ただしい東京と穏やかな瀬戸内を行き来する「自由な生き方」へシフトした背景には一体何があるのだろうか。あかしさんのワークウェルを支える「もうひとつの時間」についてお話しを伺った。

あかしゆか  1992年、京都出身。大学時代に書店で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。2015年サイボウズへ新卒で入社。同社ブランディング部で企画と編集を学び、2020年に独立。フリーランスの編集者・ライターとして企業のプロジェクトや書籍の編集を手掛ける。2021年に岡山県の児島に書店aruをオープン。2023年の5月で2周年を迎えた。

独立をきっかけに瀬戸内の暮らしと出会う

慣れ親しんだ世界を飛び出すことは、言葉で言うほど簡単ではない。それまで築き上げてきたものを手放し、まだ見ぬ可能性に賭けることだからだ。しかし人生とは不思議なもので、自分の直感を信じて飛び出した先で、思いもよらない出会いが待っていることがある。あかしさんが新卒で入社し、丸5年間働いたサイボウズを飛び出したのは2020年。コロナウイルスのパンデミックが起こる直前のことだった。

「会社の価値観を世の中に広めるというミッションのもと、取材したり記事を書く仕事は面白かったのですが、働き方や組織といったテーマ以外にも、自分の興味はあるなと思って。そこから副業でライティングや本の編集といったお仕事を、サイボウズの外でも行うようになりました。」

しかし活動を広げ、期待に応えようとするあまり、過労で倒れてしまったと当時を振り返る。

「周囲からの期待にすべて応えなきゃって思っていました。副業もあれもこれもやって、全部やりすぎてるみたいな。しかもそれが、自分が本当にやりたいことかどうかも分からなくってしまって」

当時結婚していたパートナーとの関係を解消し、仕事でもプライベートでもフリーになったタイミングで、追い討ちをかけるようにコロナが流行り出した。

「独立したはいいものの、精神は疲れてるというか。孤独だなっていう気持ちがありました。どうしようかな、と。その時、友人が瀬戸内海のそばでやっている〈DENIM HOSTEL float〉というホテルに、2週間くらい滞在させてもらったんです」

2週間の滞在は疲弊したあかしさんの心身を癒し、時と共に移り変わる瀬戸内海の表情を教えてくれた。穏やかな海のそばで過ごすうちに、「この自然の中で暮らすの、いいな」という思いが湧いてきたという。

滞在中のある日、〈DENIM HOSTEL float〉を運営する人たちとお酒を飲んでいると思いがけない提案が持ち上がった。

「酔っ払った勢いで、〈ゆかちゃん、瀬戸内でなんかやろうや!〉って(笑)。その時、偶然にもいまのaruの物件が空いていたんです。それで私は〈本屋やる!〉と、この場所で書店を始めることを決めました」

書店の名前に込めた「自由」への想い

書店を開くと決めたはいいものの、出版業界は不況が叫ばれて久しい。各地で新しい書店が開業しては、それと同じ数だけ閉業しているのが現状だ。編集者という立場で業界の大変さを知っていてなお、なぜ書店を選択したのだろうか。

「大学時代に京都の書店でアルバイトをしていた頃から〈今後紙の本が減っていく〉と言われていました。だけど社会人になってwebや本の編集に関わる中で、紙の本はなくならないだろうなと、確信に近く思うようになりました。情報としてだけではなく、やっぱり物であることの価値というか。本にはデジタルでは決して感じられないものがあると思うんです」

「それに、私は自分でゼロから本を作り出すというよりは、今ある素敵な本をキュレーションしたり、場をつくって届ける方が合ってるかもしれないとも思ったんです。昔から、友達の話を聞きながら〈この本絶対読んだらいいと思うよ!〉っておすすめするのが好きで。それは本屋にも通ずるのかもしれないと思いました。たとえ直接おすすめしなくても、本棚の見せ方で手に取ってくれる本が変わったりする。それが面白いなって」

aruを始めて2年が経ち、だんだんとお客さんの顔が見えてきた。そして選書の基準にも少しずつ変化が現れてきたという。

「あのお客さんはこういう本が好きだろうなとか、この本おすすめしたいなとか。オープンしてすぐは自分が好きな本や瀬戸内の雰囲気に合う本を選んでいたのですが、いまはお客さんを想像しながら選ぶこともあります」

aruの由来と顧客との関係性

aruで生まれるお客さんとの関係性は、あかしさんが「aru」という名前に込めた想いを体現するものだ。

「本屋を開くにあたっていろんな思いはあったのですが、何か目的を置いた途端に、そうしなきゃいけないって自分が縛られてしまう気がしたんです。だからこの場所の意味を来てくれた人に委ねたいなと思いました。〈ただそこにある、けれどもそこにはある〉。そこから〈aru〉という名前を付けました」

「それにここで本屋をやろうと思ったのも、もともと〈やりたい!〉という明確な目的があったわけではありません。導かれるようにたどり着いたこの場所で本屋をやることに、自分の人生にとって何か大事なものが〈ある〉って直感で思ったから」

きっと、あかしさんにとって「本屋」というのはあくまでひとつの方法なのだろう。本屋という場所で、本をきっかけに、一人ひとりのお客さんとの関係性の間に生まれるもの。それが彼女が見出している価値に違いない。

「2ジョブ/2ホーム」に感じる手ごたえ

東京ではライティングと編集の仕事を続けるあかしさん。5月には編集を手がけた『山の上のパン屋に人が集まるわけ』(平田はる香/サイボウズ式ブックス)が刊行された。東京の仕事も岡山の仕事も妥協しない「2ジョブ/2ホーム」の感触を彼女はこう語る。

「本屋を始めてから、東京の仕事と本屋のシナジーが生まれているような感覚があるんです。違うことをやっているけど、どこかで一本につながってるみたいな。その感じを掴んでから、今の生き方がとても良いなと思い始めました」

現在、東京での仕事と岡山での仕事の割合は7:3。今後、あかしさんはもう少し本屋に比重を置いていきたいという。

「理想は6:4くらい。でもやっぱり小売りで生きていくのは本当に大変だなと思っています。本屋の仕事も編集者としての仕事もどちらも大切だから、本屋一本で生きていくという覚悟はいまの私の中にはないですね」

自分自身が「健全」であるために、あえて一つには絞らない。それはまるで自らの人生をパッチワークしているようだ。こうした新しい生き方に、あかしさんは覚悟を持って臨んでいる。

「二拠点生活で、他の仕事をしながら副業的に本屋をやっている状況に対して、〈本屋をなめるなよ〉みたいに思われることもあるかもしれません。でも、私は中途半端な気持ちでやっているわけでは決してありません。これは自分なりの本との関わり方の形だから」

変化に合わせて“生き方をチューニング”する

現在は「すごく健全」な生活を送っているあかしさん。今後もこの生活を続けていくのだろうか。

「aruを続けていきたいとは思っています。ただ、私はいま30歳で、4ヶ月前に結婚したんですね。そうすると、たとえば近い将来子どもについてリアルに考え出したときに、この二拠点生活のスタイルをどこまで続けられるだろうというのが直近の課題です。もちろん、私の体が子どもを産めるかという問題はありますが、子育てしながらも続けられる方法はあるかなとか」

「ただ二拠点を辞めるという選択肢は今のところはなくて、どうにかして新しい形を見つけられないか考えています。」

結婚や出産、親の介護といったライフステージの変化は、二拠点生活を続ける壁になるだろう。しかし、あかしさんがその困難から目を背けることはない。

「生活の変化によって〈健全さ〉って本当に変わってくるはず。私だけの健全じゃなくて、パートナーや子どもにとっての健全とは何かとか、たぶん考える軸が増えてくると思うんです」

「いま自分はこの状態が健全だからそれを守らなきゃってがんじがらめになるんじゃなくて、その時々で自分にとって何が健全かということを考えて、生き方をチューニングしていくことを忘れないようにしたいです。むしろ、チューニングしてくものだって思いながら生きるのが大事かなと思います」

自分ひとりの自由を追い求めるのではなく、大切な人たちとの関係性の中で、「あなたもわたしも自分らしくある」という理想を諦めないこと。そうした姿勢こそがあかしさんのワークウェルを支えているのかもしれない。

「私、〈生きることで生きる〉という言葉を大事にしているんです。興味とか関心って人生の中で変わりゆくものだなと思っていて、例えば私も離婚したときには〈パートナーシップって何だろう〉とか〈恋愛って何だろう〉ということに興味があったし、今は子育てなどに興味がある。二拠点生活を始めたら、地方が気になってきたりとか」

「自分がその時々でつよく感じていることを仕事にして、それでお金をいただいて、また自分の生活が育まれていくような。その時々の自分の人生において大事にしていることが、お仕事になっていったらいいなと思っています」

そう言ってあかしさんは口を閉じ、ゆるやかな風が吹いてくる瀬戸内の海に目線を移した。

この日はこれから読書会のイベントがあるという。題材は星野道夫の『長い旅の途上』。アラスカの大自然の中で数々の写真を撮影した星野道夫は、「大切なのは、出発することだった」と書き残した。彼の言葉に、あかしさんの姿を重ね合わせる。

自分の直感を信じて、とにかく出発してみる。そこでの出会いや変化に身をゆだね、進む方向を柔軟に変えてゆく。それはまるで旅のようだ。

大切な人たちと、ともに自分らしくある方へ。

星野道夫の言葉を借りるならば、彼女はきっと、ほんとうの光を探し求める長い旅の途上なのだ。

 

海と山のあいだにある、不定期営業の書店「aru」営業日はInstagramで公開
Instagram:@aru_store
岡山県倉敷市児島唐琴町1421-18

写真/藤岡 優 文/椋本湧也

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