【ワークウェルな人】宇宙工学の「研究者」と「作家業」の2足わらじの歩き方とは
「SUKI」を諦めない“workwell”な人
ある時はガンダムを彷彿とさせる「宇宙工学研究者」。またある時は日常の機微をつづる「エッセイ作家」。職業の形を自在に変えながら、宇宙と日常の間をロケットのように行き来する一人の若者がいる。
久保勇貴(くぼ・ゆうき)。宇宙航空研究開発機構(JAXA)で「ソーラーセイル」や「トランスフォーマー」のプロジェクトに携わるかたわら、個人で作家活動を行っている。2023年3月には太田出版から著書『ワンルームから宇宙をのぞく』を刊行し、重版も決定した。

JAXAの仕事が終わり、帰宅すると執筆活動が始まる。ライバルたちが一日の疲れを癒している間、久保さんはワンルームの机に向かって黙々とペンを走らせる__。
「正直しんどい時もあります。でもトータルで見たらやっぱり楽しいし、何よりやらざるを得ない。この世界に生まれてしまったからには、めいっぱいワクワクしていたいんです」
彼の熱意の源には一体何があるのだろう。話を伺う中で見えてきたのは、幼い頃から抱き続けてきた“大切な問題”をどこまでもまっすぐに追求しようとする強い想いだった。
一度きりしかない人生を全力で駆け抜ける、久保さんのワークウェルな生き方について話を聞いた。

導かれるように宇宙工学の道へ
人は誰しも、幼い頃に一度は果てしない宇宙に思いを馳せるものだ。宇宙飛行士や宇宙の旅に憧れた経験を持つ人も少なくないだろう。久保さんもそうした多くの少年少女の内の一人だった。
「物心つく頃には〈宇宙飛行士になってみたい!〉という夢を漠然と抱くようになりました。小さい頃はガンダムにもずいぶんハマりましたね。宇宙飛行士も、ガンダムも、とにかくカッコよかったんです」
このとき抱いた宇宙への好奇心はその後も消えることはなかった。まるで「何かに導かれるように」宇宙工学の道へ進んだと当時を振り返る。
「小中高とずっと野球をやっていて、バンドや演劇に夢中になった時期もありました。その時々で好きなものに全力で向かって、紆余曲折を経た結果、気づくと幼少期に抱いた宇宙工学の道に進んでいた気がします」
東京大学の大学院に進学し、JAXAのプロジェクトに関わるようになって今年で7年目。2022年の4月からは任期付きのポスドク(博士)研究員として正式に入所した。
「専門は宇宙工学です。宇宙の研究と一口に言っても望遠鏡で星を見る人とか、宇宙の始まりを解き明かそうとする人もいますが、僕は宇宙に飛ばすものを作っています。今、所属しているのは人工衛星や探査機を使って太陽系の成り立ちを調査する部署ですね。宇宙工学の中でも僕は〈軌道と姿勢の制御〉を研究しています。簡単に言うと、どうやって宇宙まで行って、どうやって宇宙機の運動を管理していくか、という内容です」
そして現在メインで携わっているのが“トランスフォーマープロジェクト”だ。
「映画『トランスフォーマー』のオプティマス・プライムではなくて(笑)。宇宙空間で変形するロボットを使って、新しい宇宙工学の技術を作るプロジェクトです。変形することで一つの衛星に複数の機能を持たせながら、同時に関節の運動によって姿勢を変えるんです。例えば飛行モードで飛んで行って、そこで望遠モードに変形できれば、行えるミッションの可能性が大きく広がります」
しかし、宇宙機を宇宙空間で変形させるのは大きなリスクが伴う。世界でも類を見ない取り組みであるが、プロジェクトチームには新しいことにどんどん挑戦しようという空気があるという。
「うちのグループでは〈新しい工学や技術〉をコンセプトに据えています。何の役に立つか考える前にまず作ろうよ、それができたらきっと面白いアイデアが生まれるからって。その新たな一歩が、今やっているトランスフォーマープロジェクトなんです」
それに加え、現在ロボットに関するサブ・プロジェクトではリーダーの役割を担っている。将来大きな衛星を作るためのプロジェクトは「難しいけど、なにより楽しい」と笑いながら言う。JAXAに職員として加入して1年足らずでこれだけの仕事を任されているのは、まさに期待の証明に他ならないだろう。
はじめて宇宙に思いを馳せてから20年以上が経ったいま。久保さんは宇宙探査の最前線を走っている。





プロジェクト毎にユニフォームを作って、士気を上げるというJAXA。本ジャケットも、かつてプロジェクトチームに入った際に作ったものだ。
人はいつか死ぬ。だったらやりたいことをやろう!
ロケットを宇宙へ飛ばすためには燃料が必要なように、人が情熱を保ちながら活動を続けるためには強い動機や問題意識が必要なはずだ。宇宙工学の研究と作家活動の両立を“しんどい時もあるけど、それでも続ける”久保さんの動力源は一体何なのだろうか。
「小さい頃から、“自分はいつか死んでしまう”という意識がずっとあります。自分がいなくなっても、地球は変わらず回り続けて、僕だけが永遠の暗闇に閉じ込められてしまうんじゃないかって。“人はなんで死ぬんだろう”と天井を見上げながらぐるぐる考えていたのを思い出します。」
人が死を意識した時、進む方向は二つしかない。一方は「どうせ死んでしまうのなら、何をやっても仕方がない…」とニヒリズムにおちいる道。もう一方は「どうせ死んでしまうのなら、今この瞬間を最大限に楽しもう!」と生きるエネルギーに転換する道。久保さんは後者の道を選んだようだ。
「死んでしまうことに少しでも抗いたいという気持ちがあるんです。結局死んでしまうなら、じゃあもう楽しむしかないじゃん!って。そしたら僕は『宇宙を見てみたいな』と思ったんですよね。単純に。宇宙を自分の目で見た時、自分の価値観や人生観がどう変わるか知りたかったんです。それでいつの間にかたどり着いたのが、東京大学の航空宇宙工学科というところでした」
せっかくこの世に生まれたのだから「後悔したくない」。だからこそ、久保さんは人生を全力で駆け抜ける。
それでも、“死への恐怖”を乗り越えたわけでは決してないと言う。
「今でもある日とつぜん死ぬ恐怖に襲われることがあります。夜、急に飛び起きて、動悸と冷や汗がすごいみたいな。たぶん死を乗り越えることはできないんじゃないかと思います。何も解決していないから。そしたら、せめてできることは自分の内側を更新していくことしかないんじゃないかという気がしていて。内面的に成長することが、死に対するせめてもの抗いだと思うんです」
その考え方が、久保さんを“作家”にトランスフォームさせる。エッセイを書くことが、自分の人生を見つめ直す機会になり、心を成長させるからだ。
「書くたびに自分の中で更新というか、新しい発見があります。僕は何かにすがったり信じ切ることがどうしてもできないから、自分自身で考えて戦っていくしかないんです」
では、久保さんはいかにして“書く”という方法を見つけたのだろうか。
書くことで自分自身を発見する
JAXAの制服を脱いだ久保さんは、作家モードにトランスフォームする。仕事が終わり自宅に帰ってから。あるいは休日に、ワンルームで黙々とペンを走らせる。
著書を刊行してから、新聞や雑誌、各地のトークイベントでその名前を頻繁に目にするようになった。科学と文学の間を行き来する彼は、これまでどれだけの本を読んできたのだろう。尋ねると、意外にも本を読むのは「ずっと苦手だった」という。
「学生の頃は周りに本を読む人が多くて、毎日1冊読むような友だちも結構いました。自分も本を買って読もうとするのですが、なんだか言葉が入ってこなくて。目が滑ってしまうんです」
しかし大学生の時、その後の運命を大きく変える2冊の本と出会うことになる。永井玲衣『水中の哲学者たち』と、小山田咲子『えいやっ! と飛び出すあの一瞬を愛してる』だ。
「どちらも普段の日常を入り口にしていて、スッと読めたんですよね。元々ブログエッセイだったということもあるかもしれませんが、誰かに語っているような文体に惹かれました。この2冊を読んで、自分も何か書けるかもしれない、書いてみたい!と思ったんです」
永井玲衣さんの文章が“水中にもぐる”だとすると、久保さんの文章はさながら“宇宙へ飛ぶ”だろう。日常のありふれた風景から出発したかと思うと、一気に想像力の翼を宇宙へと羽ばたかせる。しかし久保さんの文章の類まれな点は、その行き先が自分の心につながっているところだ。
「書くことで、自分自身を発見していく感覚があるんです。書くたびに自分の中で更新というか、発見があって。あの時のあの出来事ってこう解釈できるかもしれないとか、あの時の感覚って実はこういうことなんじゃないかとか。その過程を書いている気がします。」
文章を書く目的は人それぞれだが、彼とっての目的ははっきりしている。自分自身について考えるために、ひとまず書いてみる必要があるということだ。“探査の欲求”は久保さんのワークウェルを支える秘訣でもある。
「苦しいけど書いて、書き切った時、一歩前に進めた感じがするんです。その繰り返しですね」
とはいえ、その文章はひとりよがりで完結するわけではない。自分の心の探査の結果を、本という形で読者に届けるのだ。そこにはJAXAの仕事にも結びつく強い想いがひそんでいる。
「宇宙って、一般の人から見たら自分とは関係ない世界って思うじゃないですか、普通。それがなんか悔しいという気持ちがあるんです。みんながそう思っている限り、自分が生きている間に宇宙に行ける時代が来るとは思えなくて。だから自分の文章を読んでくれた人が、宇宙と日常が実はつながってるんだということに気づくきっかけになったらいいなと思っています」
仕事も暮らしもあきらめない
社会でめざましい 活躍をする人は、得てして私生活がおろそかになるものだ。しかし久保さんが生活の質やパートナーとの関係をあきらめることはない。「実は、先日婚約したんです」と何でもないように言ってのける。彼は一体どのように日々の生活を送り、仕事と暮らしのバランスを取っているのだろうか。
JAXAでの職種は任期のあるポスドク研究員。3年という短いスパンで配属が変わる“不安定な”職種だ。
「教授やアカデミックのルートを進む人は、いきなり助教などのポストにつくのは難しいんです。だから任期付きの職を何年か渡り歩いて、その間にどこかに専念する。僕自身はアカデミックの方にこのまま行くかは分かりません。今は任期の2年目が始まったところなので、来年度末からはまたJAXAかもしれないし、もしかすると違う場所になるかもしれない。本当に、つな渡りの、イバラの道です(笑)」
短い任期の中で行き先も不透明。さらにそこには“ライバルたちとの競争”という厳しい現実もある。それでも、自分の「好き」を諦めない久保さんに、 書くことをやめる選択肢はない。
「他の競争相手たちは、自分が本を書いてる間に論文を何本か書くことができます。心理的ハードルもあるというか、まあしんどいですよね(笑)。でもやらざるを得ないと思うんです、自分の場合は。「やらない」という選択肢はないんじゃないかな。文章を書くことも、ロボットを研究することも、 トータルで見て好きが勝ってる。だから続けられるんだと思います」
JAXAのプロジェクト、作家活動、そしてパートナーとの生活。人生で大切な要素を一つも手放すことなく、「それぞれが両立する健全なバランスを探っていきたい」と久保さんはまっすぐに語る。
さいごに、10年後の未来予想図を教えてもらった。
「どうなっているか具体的には分かりませんが、できるだけ楽しいことをやっていたい。ワクワクすることをやって、ビックリするものに出会って、自分の内側を書き換えていきたいです。本に関しても、もっと何か書ける気がするんです。1冊目の本を出してから、もっと人の心をえぐるようなものを書きたいという気持ちがずっとあって。自分の中でいろいろ試していきたいと思っています」
これから先、一体どんな新発見があるだろう。探査可能領域はまだまだ広大だ。
情熱と好奇心の準備は万端。久保さんは職業の形を自在に変えながら 、まだ見ぬ世界を探査し続ける。


撮影/武蔵俊介 文/椋本湧也